まったく、ニンゲンってのは、どうしてこう馬鹿が多いんだ?

どうして、すぐに死のうとする?

死んだら全部終わりだってのに





ジジイについてった先は、鬱陶しいほど下り階段が続いていた。

「なあジジイ。どこまで下るつもりだ?」

「最下層までじゃな」

「んなことじゃねえ。さっきから考えていたが、この外は湖じゃねえのか」

「その通り。ここはハルシェ湖の地底まで続いておる。いざという時にここを爆破して下にいる者を封じるためにな」

悪魔の俺が言うのもなんだが、胸くそ悪い話だ。

ついでにここに漂う湿った重い思念も気にくわねえ。

メルギトスの好みそうな思念だ。

「メガネの野郎、良くこんな胸くそ悪い所にいられるもんだ」

先を行くジジイが答える。

「ライルの記憶がある。ここは最初にライルの一族が幽閉されていた場所。何人ものライルの者が、この闇に心を食われ、

しかし死を許されずに心は死んだまま朽ちていった。ある意味、死ぬよりもむごい目にあった記憶があるから、逆に耐えられる」

「は……ん、この思念の正体は、それか」

狂い、なお生を強要された融機人の嘆きと絶望。

ますます奴好みだな。

「この思念はネスを護る。心も体も蝕まれてなお、子孫の未来を憂いて転生をせずに、

この地に留まったライル達の魂が、この思念の源なのじゃよ……着いたぞ」

そう言ってジジイが立ち止まると同時、階段が終わり、扉が姿を現した。

重い音を立てて扉が開く。

その先は細長い廊下。

それを渡りきり、その先の扉を開けばまた同じような廊下。

これを四回ほど繰り返し、五回目の扉を開いた時、

それは姿を現した。

迷宮のように入り組んだ……牢屋。

何もいないそのあちこちから、視線と気配を感じる。

「おい、ジジイ、こりゃあ……」

「ライルの一族の魂たちじゃよ。先ほど話した、な。それより、

ここから先は入り組んでおる。遅れない様について来なさい」

「あ、ああ」

そこかしこにいる濃い気配を無視して歩いていると、通り過ぎた後からざわざわと何人もの人間が話し合う気配が生まれた。

……ニンゲンがここにいたら、間違いなくビビリやがるな。

「ずいぶん騒いでやがるな」

「悪魔のお前さんがおるからな。ネスの事もあって、彼らはサプレスの魔力に敏感になっておる。

襲ってこないのは、同時にお前さんから調律者の魔力を感じるからじゃろう」

それは未だに調律者の一族に恩義を感じているということか。

「は、義理堅いこった」

そうして、ジジイは一番奥と思われる牢屋で立ち止まり、そこに入っていった。

俺もそれに習う。

そこに、メガネはいた。

「…………!!」

メガネの姿に俺は思わず絶句する。

首、顔、手。隠しきれないほどに広がり、そこかしこに盛り上がり脈動する鋼。

メガネが融機人とはいえここまで鋼の比率は多くなかった。

それに、メガネの体に纏わりつくねっとりとした魔力。

それほど近くにいない俺にでも、それがメルギトスのものだと分かった。

「ネス……」

ジジイの呼びかけに、メガネが身じろぎをする。

やや焦点の会っていない目が、こちらを捉えた。

「……ああ、お久しぶりです。師範……と、そこにいるのは?」

「はン、忘れたとは言わせねえぞ、メガネ」

「バルレル……か。何の用だ?」

「テメエこそ何だ、それは」

俺がメガネの顔を指差すと、メガネは薄く笑った。

「メルギトスが、僕にハッキングをかけている証だよ、これは」

不吉に脈動する異形の鋼。

それはメガネの大部分に食い込んでいて……

「おい、まさか……」

「君の思っているとおりさ。僕はもう大部分を乗っ取られつつある。

何とか、正気は保っているがな、正直、もう長くはないだろう」

俺はメルギトスの様子を探った。

メガネの顔にあるのはただ重い疲労。

メルギトスの出てくる気配はない。

だから、俺は懐に隠していたアヴィスを構え、メガネに走りよった。

「なにをっ?!」

焦ったジジイの声、だが、それに構っている余裕は俺にもない。

その刃にかかった者の血識を吸う短剣の柄を握りこみ、メガネの首筋――メルギトスの侵食の激しいそこに、アヴィスを突きたてようとした。

その刹那、メガネの口が三日月形につりあがるのを、俺は見た。

メルギトスの笑み。

次の瞬間、俺は牢屋の外に吹っ飛ばされていた。

冷たい金属の音をたて、アヴィスがメガネ――いや、メルギトスの足下に転がった。

「ふふふ……確かに私の血識を吸い取れば、今の状態の私なら、消えざるを得ませんねえ?」

メガネの声で、メルギトスが哂う。

「ネス……」

「ジジイ、結界を張れ。奴はメガネだが、メガネじゃねえ」

そして俺は槍を構えようとして……ジジイに肩を引かれた。

「下がっていなさい」

何か言おうとしたが、ジジイの目の強さに結局何も言えず、おとなしく従った。

ジジイは印を組み、低い声で詠唱を始めた。

それと同時、透明な結界がメルギトスの周囲に展開され始める。

「ふふふ……こんな結界で私を縛ろうなど――」

メルギトスの魔力が高く、濃く、収束されていく。

「甘いわぁっ!」

一括と同時、奴の高まった魔力が爆発し、ガラスの音を立てて結界が四散した。

その余波を受けて、ジジイが倒れる。

「ぐ……!」

「おい、ジジイ?!」

慌てて駆け寄ってみれば、瞬間的に自分に向けて結界を張ったのだろう。ジジイに奴の魔力は着いてはいなかった。

メルギトスは、といえば地に倒れ伏していた。

反射的に目覚め、不備な状態で力を使ったからだろう。自業自得ってヤツだ。

「う……」

メルギトスが起き上がった。

俺は槍を構えなおす。

だが奴はぼんやりとした瞳で俺を見上げるばかりだった。

「……テメエ、メガネか?」

「そうだ。……今のところは」

メガネは起き上がり、倒れているジジイを見て血相を変えた。

「師範?!」

「……大丈夫じゃよ、ネス」

ジジイは顔をしかめながら起き上がった。

メガネは安堵の息をつき、ジジイに頭を下げた。

「申し訳ありません。師範」

「お前が気に病むことはない。しかしお前さん、一体何をしようとしていたんじゃ?」

ジジイが俺を見る。

しかし俺が説明するより早く、メガネが口を開いた。

「恐らく、アヴィスでメルギトスを吸い上げようとしたのでしょう。アヴィスはその刃にかかったものの血識を吸う剣。

今のメルギトスは僕の中の血識に巣食う存在で、僕の体から離れられるほど、力を取り戻してはいないですから」

「つまり、「メルギトス」って血識だけを吸っちまえば、奴は存在できなくなるって寸法だったのさ」

「しかしメルギトスは君の魔力に反応して目覚めてしまった……」

それが、俺の誤算だった。

「メガネ、お前、これからどうする気だ?」

メルギトスはメガネの意識を押しのけられるくらいに成長してしまった。

完全に復活するのは時間の問題。

メガネがどうする気なのかは、実はもう分かっていた。

それでも、問わずにはいられなかった。

しかし奴は黙ったまま、答えようとはしなかった。

「……テメエ、死ぬ気、か――?」

沈黙。

ややあって、メガネは暗い目で呻くように告げた。

「……他にどんな方法がある……?」



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